先日実家へ行ったときに、改めて衝撃を受けたことがある。いやマジほんとに面倒くさい価値観をもった両親だなぁ、と。父も母も、性格や波長はまったく違うが似ている部分があってね。しかも厄介なのが、相応の覚悟…というか人生を賭けるくらいの信念が垣間見えたりしてね。それは、
“自己犠牲”の精神。
これはわたしの主観が入っているけれど、彼らの価値観は誰もまねできないし尊敬する点もある。でもわたしは、それにかなりネガティブに影響されて育ったために、少しばかり…否、めっちゃ心象がよろしくなかったりする。
というのも、彼らは達観しているわけじゃないのでは? と思うんだよね。父は心情を口にすることがなかったので内面は知らないけど、子供に(わたしたちに)対してイチイチ非常に厳しい現実を突きつける人だったし、母は気に入らないことがあるとストレートに八つ当たりする人だったので。
日々の会話がね、ぜんっぜん楽しくなかったんよ。
否定、否定、人格否定、否定、揚げ足取り、否定…
弟は知らないけど、わたしの子供のころを思い返しても、心から「幸せだー」「楽しい~」「生きててよかった!」って生活をしてなかったんだもん。しかも小学校低学年以前の記憶がまったくない。手繰り寄せても母から笑顔を向けられた記憶が一ミリもない。抱きしめられた記憶もない。それなのに、母の言葉だけは残ってるんよね。
「どれだけあなたを愛しているか」
っていう。
これはもう、愛の言葉というより呪詛に近い気がするわ^^;
今はまぁ、ハッピーな記憶はなくとも、傍から見たら大きくなるまで衣食住に困らないハッピーな人生を送らせてくれた両親に素直に感謝できるくらいには、メンタル回復してる。どんだけ年数経ってるねんって話やけど💦 でもそれに気付けたのは、わたしの唯一の味方であるデンさんのおかげですけどね❤
先週実家に帰った時に、
「思えばお母さんの(結婚してからの)人生、お父さん一筋やったわ」
という母の言葉を聞いて、わたしのなかの憶測が確信通り越して事実になって、感慨深いものがあったわ。そりゃそうでしょうとも、気付いてましたよ物心ついた時から。わたしの気持ちより言葉より誰よりも父の言動を信じて疑わなかったからね。それでどれだけわたしが深く傷ついていたかももう知る由もないんだろう。そして、その言葉を聞いて涙ぐむ父を見て、人生諦めずに全うしてほしいな、唯一無二の伴侶の為に…って心から思った。
親不孝なのはちょっとした復讐だったんだけど、できる範囲で親孝行していこうと、これも改めて決意したこの頃であった。