文書の過去の版を表示しています。


 ぼくには兄がいた。

 双子で背格好や見た目が殆ど変わらないのに、兄はぼくよりも聡明で好奇心旺盛、そして何事においても常に先だって飲み込みが早く、ぼくと言えばいつも彼の背の後ろにうずくまって、こっそりと周囲をうかがうような日々を過ごしていた。

 両親は国を統治する権力者ゆえに、ぼくたち兄弟も一般的な勉学のほか政道に通ずる学問、哲学なども修学していた。学ぶことに於いては別段苦手意識もなかったが、将来この国を継ぐのは兄の方だろうとやんわり思いかすめており、ぼくとしては政(まつりごと)には一切関心をもてなかった。

 あるとき兄は、一般的に開放していない筈の書庫にぼくを呼び出した。周囲に見つかるとどんな叱責をうけるか判らないため、身の縮む思いで奥間に入ると、きらり、と目に一筋の光が差し込んできた。思わず片手で目の前を覆うほどの眩しさに唸ると、兄は軽く微笑んだ。
「まだ、誰にも言うなよ?」
 少しくぐもった声質に変わり、いつになく真剣な眼差しをその光のほうへ向ける。彼の視線の先には、光に包まれたひとつの丸い球が掌の上に鎮座していた。
「水晶玉??」
 思わず声が漏れた。兄はうなずく。
「うん。この前の誕生日の時、父上から譲っていただいたものなんだ。確か、お前ももらっただろう?」
「うん…」
「凄いよな。これを使って父上はこの国を護ってる。俺、ほんっとうに尊敬してて。いつか父上みたいになりたいって、それからずっと父上のお仕事を覗き見て、見よう見まねでさ。そしたら――」 と、片手で水晶玉をささえ、もう片方の手でやさしく撫でると、きらり、とそれはまた眩い光を発した。

 ――すごい。
 知らないうちに兄は、魔術を会得していたのだ。瞬きも忘れるほど目を見開いて凝視していると、兄はまたそっと水晶玉を撫で、光を抑えた。
「まだまだこれくらいしかできないんだけどさ、いつかは浄化したり結界を張れるくらいになりたいって思ってる」
 そういって笑む兄の表情は誇らしげで、ぼくも自分のことのように気持ちが高ぶったのを今も覚えている。

 この時をきっかけとして、非定期ではあるが、魔術の訓練を行う兄の様子をそばでずっと見守る日々を過ごしていた。

 あつい。
 あつい、あつい――。
 灼けるように、じわじわと内面から蒸されるように、尋常じゃない熱量がわが身を襲っていた。 ある夜、ようやく寝入りかけた刹那、地響きのような騒々しい音が聞こえて目を開くと、薄暗い部屋をさらに漆黒の闇のような霧状のものが周囲を覆っていることに気が付いた。

 “それ”は煙なのか、何者かの影なのかはすぐに判断はつかなかった。だが、あ、と声をあげるまもなくその漆黒はわが身を覆い、その瞬間なにも視界に映らなくなってしまう。
 咄嗟に「父上」と助けを乞うたが既に声も出せない。間髪入れず、火を浴びたかのような熱さが襲い掛かってきた。

 あつい! あついよ、父上! 助けて兄上!

 あの日以来、お守りのように我が身離さずに持っていた水晶玉を無我夢中で手繰り寄せた。自分には魔力はないが何らかの効果を期待したのだ。藁をもすがる思いで。
「――!」
 しかし、手に持った瞬間に、それは絶望に変わった。

 目に見えなくても解った。丸い形をしていた水晶玉が、掌の中でドロドロと溶けだしたのだ。ぼくは、声にならない(出せない)悲鳴をあげ、発狂さながらに大きく体を仰け反らせた。

 どうして、どうして? 熱で溶けたの? もうダメなの?

 それでも“生きたい”という強い信念が突き動かされ、とにかくこの部屋から逃れようと鉛のように重たく感じられた体をよじらせて這い出そうとした、その時――

「あ、?」
 急に視界が開け、先ほどの灼けるような痛みがなくなった。どこかで炎が上がっているのか、煙が立ち込めていることは確認できたが、漆黒の闇はもう消え失せていた。ふと両方の掌をなめるように見やると、溶けだされた水晶玉のかけら一粒もその場には残っていなかった。
 そして、ぼくは、次にどうするべきか…思考を巡らせることが、できなくなっていた。それは放心状態とはまた違う、なんだか途轍もなく無に近い感情だった。

「ライキ!!」

 一抹の静寂の後、部屋の扉が大きく開かれ、聞き覚えのない声が部屋中に響き渡った。だれ、と問う間もなく、部屋に入ってきた何者かは、ぼくをその腕に抱え上げて、
「よかった、無事だったんだな! とりあえずここを離れよう、何も考えるな。大丈夫だから一緒に行こう!」
 そう、自分自身にも言い聞かせるように大きな声を張り上げて、燃え盛る炎を突っ切って外へ走り出したのだった。

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