軽々しく、“愛”という言葉を放っていた20~30代の自分を振り返り、ちょっとこっぱずかしくなった。若かったな…。でも、そんな言葉を放つわりに、中身はペラッペラだった気がする。
さて先日、Amazonプライムで映画を観ていた。菅田将暉くんと趣里ちゃんが出ている、それだけで見た。タイトルにも惹かれた。内容は、想像以上にリアリティのある重苦しい、でもコロコロと変わる趣里ちゃん演じる寧子の表情に引き込まれてた。
彼女とは対象に、ほぼ“無”な津奈木の目が印象的だった。いつか爆発しそうだなぁ~そうなったとき怖いよな…って思いながら観ていた。鬱屈とした日々、色んな負の感情を“やり過ごし”て生きている、死んだ魚のような眼をした津奈木さん。そんな彼は、ほんの刹那、寧子に惹かれている瞬間にだけ、瞳に光を宿す。
理屈じゃないけど、ソレだよ。きっとソレ。愛? 依存? 言葉では表現できない、その一瞬が真実なのだ。
この作品の中でよくわからない立ち位置が、元カノ。寧子が社会と関りをもとうとする切っ掛けを担っているから、それなりに意味のある役どころなのだけど、彼女が津奈木に執着する理由が今一つ理解できなかった。
ただ、何だろう… 寧子も津奈木も、振り返ってないんだよね。立ち止まってはいたかもしれないけど。“生きたい”って強い感情がビシビシ伝わってきた。この二人、タダモノじゃないよ。
あんたが別れたかったら別れてもいいけど、あたしはさ、わたしとは別れられないんだよね、一生。いいなぁ…津奈木…わたしと別れられて…いいなぁ…
このセリフに似たような歌詞、RADWIMPSの歌にもあったね。
たぶん、わたしたちが本当に解りあえたのなんて、ほんの一瞬くらい。でも、そのほんの一瞬で、あたしは生きている。
現実問題、わたしもそうかも知れないな。デンさんとお互い完璧に理解しあってるとは言い難いけど、何にも解りあえないでずっと過ごすのは、きっとお互いに無理がある。
それが愛なのか? 依存なのか? どっちだっていいよ、ただ真実なんだ。